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第9章「私のアパート経営理念」

何のためのアパート経営か?

何のためのアパート経営か?ロバート・キヨサキに言わせれば、収益不動産を所有することにより不労所得を得て、経済的自由を手に入れるため。それではアパート経営の理念とは楽に儲けて気楽に暮らすことですか?確かに、アパート経営は営利を求める事業です。ボランティアではありません。そこに収益がなければ成立しません。しかし、お金儲けがアパート経営の理念にはなり得ません。お金が儲かるということはあくまでも結果なのです。理念とは哲学的に言えば、社会的にも、文化的にも有意義と認められ、かつ自己矛盾のない行動原理のことです。

規模の大小を問わず、多くの企業がその経営理念に社会貢献を上げています。事業を通じての社会貢献によって収益が上がり、事業が継続する。自社利益を事業目的にすれば、一時の繁栄はあっても、いずれ社会から企業はその存在を問われる時が来る。事業を継続する過程において経営者は自然とそのことを学びます。学ばなかった経営者は滅び去ります。アパート経営者にも同じことが言えます。オーナーが自身の収益のみを目的にアパート経営を行えば、結果的に収益は発生しません、時を待たずに破綻します。アパート経営もそれが事業である以上、社会貢献の理念がなければ長くは続きません。アパート経営を通じての社会貢献があって初めて、オーナーは家賃という利益を受取ることができるのです。住宅が有り余り、空室率が上昇し、家賃は下落しています。理念なきアパート経営の時代は既に終焉しています。

理念なきアパート建築の終焉

戦後、空襲による焼け野原から復興した日本では、住宅は常にその質よりも量の供給が優先されてきました。高度成長期においては、旧建設省指導のハウス55政策、旧住宅金融公庫によるプレハブ住宅に対する優遇政策等により、企画住宅及び、プレハブ住宅の建設が官民一体となって推進されました。その結果、個人が所有する住宅も、賃貸住宅も、築25~30年で資産価値がなくなるビルド&スクラップの住宅が日本中に溢れました。確かに、高度成長期には人手不足の問題もあり、住宅の絶対量の供給の為には、工業化住宅は当時としては理に適った政策ではありました。大量生産、大量消費の時代背景と相俟って、住宅は消耗品であるという考えが一般化し、不動産の価値は土地にあると信じられてきました。戦後一貫して続いた人口増、経済成長社会が、個人住宅であれ、共同住宅であれ、住宅を一世代で使い捨てることを許容してきたのです。経済成長と共に続いた所得の増加が、神話とまで言われた地価の上昇が築数20年で資産価値がなくなる住宅の経済的損失を十分にまかなったのです。

賃貸住宅においても、当時の10%近いローン金利でのアパート経営は決して収益が見込める事業ではありませんでした。地主層のアパートを建てる動機は、自己の所有地が市街化区域に指定されたことにより負担増を強いられた固定資産税、相続税の節税対策でした。アパートの入居者を満足させ、その満足から収益を得るという事業目的ではなく、本来であれば支払わなければならない税金を節約するという手段として、数多くのアパートが地主層によって建てられました。そしてローンを払い終えたアパートは相続税の節税効果を失い、新たな債務を負うためにまた建替えられます。アパート経営における目的と手段の履き違えです。地主層のアパート経営には何の理念もありませんでした。

ハウスメーカーは生産性と自社利益を優先し、工場で大量生産されるユニットを横に並べて縦に積み、鉄骨の階段と廊下でつなぐ、まるで倉庫か仮設住宅のようなプレハブアパートが日本全国で数多く建てられました。そして今なお建て続けられているのです。確かに、戦後、住宅不足の一時期においてハウスメーカーのプレハブアパートにもその役割はありました。私はそのことまで否定するつもりはありません。しかし、住宅が有り余る現在、その役割は既に終わったのです。終わった以上、今なお建て続けられるプレハブアパートには何の理念もない、それは形骸であると、私は申し上げたいのです。有名タレントを使ったテレビコマーシャルを放映し、数多くの営業マンを雇い、虚実の家賃保証で地主を欺き、近隣住民の迷惑も顧みず、街並みを損なう時代錯誤のアパートを自社利益のためだけに建て続けるのはもう止めて下さいと、私はハウスメーカーにお願いしたいのです。

アパート経営における社会貢献

アパート経営も事業である以上、そこに社会貢献があって初めて成立します。入居者に快適な居住空間を与えること、経済活動に貢献すること、そして税金を納めることが、アパート経営者にとって、当然の社会貢献です。私も、自身のアパート経営を通じ、単身の女性が安心して、快適に、喜びを持って生活できるデザイン性の高い居住空間を提供してきました。建築不況の真最中にアパートの新築工事において私は多くの仕事を発生させました。そして印紙税、消費税、登録免許税、不動産取得税、固定資産税、都市計画税、所得税、住民税と不動産と不動産所得に課せられる多種多様な税金をここ2年間だけでも私は一千万円以上支払いました。これらが社会貢献であることに間違いはありません。しかし、私は自身のアパート経営においてこれら当然の社会貢献以上に重要な意味を持つ社会貢献を考えています。それは今の日本の住宅市場において最も不足し、かつ最も必要とされているもの、社会資産を形成する住宅の充実に貢献することです。

社会資産としての住宅

戦後の混乱から立ち直った日本は、その後の高度経済成長によりGDP世界第2位の豊かな国になりました。その結果、日本では着るもの、食べるものは確かに豊かになりました。しかしながら、住生活の豊かさは多くの国民に今なお享受されていません。持ち家であれ、貸家であれ、日本人は平均して世帯収入の約20%を住居費に支出しています。欧米では、住居費は世帯収入の約10%です。欧米に比べて約2倍の住居費、その原因は住宅が消耗品であるという間違った考えが、住宅不足という事情があったとはいえ、戦後の日本で一般化したことにあります。

消費大国のアメリカにおいてさえ、住宅は決して一個人の消耗品ではありません。アメリカの住宅は中古市場での流通を前提とした社会資産であり、アメリカ人の豊かで幸福な人生を支える大切な資産なのです。手入れの行き届いた中古住宅が新築住宅以上の値で取引されることがアメリカでは多くあります。そして欧州では、住宅は一般的に二世代、三世代と100年以上も住み継がれることが稀ではありません。一生涯を住宅ローンの支払いに終始する日本人と異なり、祖父が建てた家に住み、父が建てた別荘でバカンスを過ごし、少ない収入でも、豊かな生活を営む人々が欧州には実に多くいます。賃貸住宅もまた、入居者は古いけれども便利な場所に建つ美しい物件を手ごろな家賃で借りることができ、オーナーはその家賃で豊かに暮らすことができるのです。それを可能にしているのが社会資産としての住宅なのです。

社会資産とは、分かりやすく言えば、今の世代が次の世代のために残す価値ある財産のことです。国債を乱発し、一部の企業や政治家、官僚の利権のために、日本の美しい風景を損ない建設される不要なダムや高速道路、空港は次の世代に不良資産と負債を残すだけで、決して社会資産を形成できません。個人住宅であれ、共同住宅であれその多くが25年~35年のローンを利用して建築される以上、ローンの支払い期間中にその価値を失えば、それは不良資産となります。ビルド&スクラップのプレハブ住宅では決して社会資産を形成することはできません。ローンを払い終え、かつそこに市場価値を残して初めて、住宅は社会資産を形成するのです。日本がこれから移行する成熟社会を支える最も重要な概念、それが社会資産なのです。そしてこれからの日本の住宅市場における最大の課題が社会資産としての住宅の充実なのです。

私のアパート経営理念

私も自身のアパートの建築資金に金融機関からのローンを利用しています。ローン返済の20年の間、アパートの入居者から家賃の振り込みがある私の銀行口座からは毎月、アパートローンの返済金が自動で引き落とされます。建物の登記簿におけるアパートの所有者は私なのですが、そこには金融機関の抵当権が設定されています。仮にローンの返済が数ヶ月でも滞れば、私のアパートは競売により強制的に売却されます。ローンの返済期間の間、私のアパートは負債のリスクを負った資産であり、私のアパートは私の資産というよりむしろ抵当権者である金融機関の資産なのです。

無事ローンの返済を終えて初めて、私のアパートは私の資産となり、かつそこに賃貸物件として市場価値があり、家賃という収益を生み出して初めて、私のアパートは私の真の資産となるのです。そして私が40代で建てたアパートが社会資産として、年金という社会扶助に頼ることなく、私が妻と共に60代以降の老後の生活を豊かに過ごすことを可能にし、私自身の労働からの所得がなくなっても、アパートの家賃収入から各種の税金を支払うことにより、私が社会に貢献し続けることを可能にするのです。仮に私が経済的に困窮して他人がそれを所有しても、将来、私の子や孫がそれを相続しても、私の建てたアパートは社会資産としてそこに住む入居者の生活だけでなく、そのオーナーの生活をも豊かにするアパートでありたいと私は思います。

個人資産を形成するためのアパート経営が同時に社会資産を形成し、その建物が美しく街並みを装い、入居者がそこに住むことに喜びを感じるならば、それは社会的にも文化的にも有意義なことで、そこに一切の自己矛盾がありません。それが私のアパート経営における私の理念です。

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